横田建設再生の道 第7話「通じない壁、越える覚悟」


横田建設再生の道 第7話「通じない壁、越える覚悟」


4日目の朝。
現場に入ると、いつもの空気が流れていた。
青年は、まだ完全に馴染んではいない。
だが、拒絶されているわけでもない。
その中途半端な距離感が、一番難しい。
「おはようございます!」

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青年の声は、昨日よりさらに落ち着いていた。
だが――
問題は、そこではなかった。


午前の作業中。
「それ、“ハッカー”持ってこい!」
ベテランが声を飛ばす。
青年は一瞬、動きを止めた。


数秒考えたあと、別の工具を持ってくる。
「違う違う! それじゃねぇ!」
「……すみません!」
また、現場の空気が張り詰める。
九郎はすぐに気づいた。
(言葉が通じてねぇ)


「ハッカー」。
ハンマーをそう呼ぶ、現場特有の言い方だった。
標準語でもない。
マニュアルにも載っていない。
“日本語”ではある。
だが――
“外国人には通じない日本語”だった。
「これだ、これ」
九郎は実物を手に取って青年に見せる。
青年は何度も頷いた。
「ハッカー……ハンマー……はい、分かりました」
だが、その日のミスは続いた。


昼前。
「それ、養生しとけ!」
また青年が止まる。
「……養生?」
意味が分からない。
ベテランが舌打ちする。
「だから遅ぇんだよ」
青年の顔が曇った。


昼休み。
いつものコンビニのおにぎり。
だが、今日は無言だった。
九郎が聞く。
「……分かんない言葉、多いか?」
青年は少し考えてから答えた。
「はい。学校で勉強した日本語と、違います」
「だろうな」
九郎は缶コーヒーを一口飲んだ。
「でも、聞けよ」
「……はい」
「分かんないまま動くのが、一番ヤバい」
青年は強く頷いた。


その日の夜。
九郎は一人、少し考えた。
(教え方、変えねぇとダメか)
翌日から、やり方を変えた。
工具に全部、紙テープを貼った。
「ハンマー」
「スパナ」
「インパクト」
さらに、その横には現場で使われる呼び方も書いた。
「ハッカー」
「スパナ」
「インパクト」


簡単な単語帳も作った。
「休憩中でいいから、これ見ろ」
「……ありがとうございます!」
青年の目が、少し明るくなった。


1週間後。
「これ、養生ですよね?」
青年の方から、先に確認してくるようになった。
「おう。合ってる」
小さな進歩。
だが、確実な進歩だった。
――しかし。


2週間目。
事件が起きた。
「なんで勝手にやった!?」
ベテランの怒声が現場に響いた。
青年が、指示されていない作業に手を出していた。
悪意はない。
むしろ善意だった。
早く仕事を覚えたい。
役に立ちたい。
その一心だった。
だが、現場では「勝手にやる」は事故に直結する。
「すみません……でも、やった方がいいと思って……」
「思うな! 聞け!」
空気が一気に悪くなった。
その日の帰り道。
青年は明らかに落ち込んでいた。
しばらく黙っていたが、ぽつりと漏らした。
「……自分、ダメですか?」
九郎は、すぐには答えなかった。
「ダメじゃねぇ」
「……でも」
「順番だ」
青年が顔を上げる。
九郎は前を見ながら続けた。
「覚えるのはいい。でもな、現場は“勝手にやるな”が先だ」
「……はい」
「信頼ってのはな、“言われた通りにやる”っていう積み重ねだ」
青年は黙って聞いている。
「そのあとで、やっと“任せる”になる」
「……分かりました」
その日から、青年は変わった。
とにかく聞く。


「これ、やっていいですか?」
「次、何しますか?」
「ここまでで合ってますか?」
最初は、鬱陶しがられた。
「いちいち聞くな!」
そんな声が飛ぶこともあった。
だが、九郎は止めなかった。
「いいから聞け」
それだけだった。


1ヶ月後。
現場の空気が、少し変わっていた。
「おい、これやっとけ」
ベテランが、初めて“指示だけ”を出した。
細かい説明はない。
青年は一瞬だけ考えた。
「はい!」
そして動く。
数分後。
「……できました」
「……おう」
それだけのやり取りだった。
だが、九郎には分かった。
これは大きな変化だった。
ミスは、まだある。
怒鳴られることもある。
だが――
“無視される”ことはなくなった。


昼休み。
青年が笑いながら言った。
「最近、少し分かってきました」
「何がだ?」
「怒られ方で、どこがダメか分かります」
九郎は思わず笑った。
「レベル上がってんな」
青年も笑った。


さらに2週間。
ある日のことだった。
新しく入った日本人の若手が、同じようにミスをした。
ベテランが怒鳴る。
そのときだった。
「最初は、分からないですよ」
青年が、ぽつりと言った。
一瞬、空気が止まった。
九郎も驚いた。


「……あ?」
ベテランが青年を見る。
青年は少し緊張しながら、それでも続けた。
「自分も、最初できませんでした」
「でも、教えてもらいました」


沈黙。
数秒後――
「……まあ、そうだな」
ベテランが小さく言った。
それだけだった。
だが、その瞬間。
何かが完全に変わった。
帰り道。


青年が笑いながら言った。
「今日、ちょっと怖かったです」
「だろうな」
九郎も笑った。
「でも、言ってよかったです」
「……ああ」
九郎はハンドルを握りながら思った。
(こいつ、ちゃんと“現場の人間”になってきたな)
アパートに到着する。
青年は車を降り、いつものように九郎へ向かって頭を下げた。


「明日も、お願いします」
いつもの一礼。
だが、その姿はもう――
“来たばかりの外国人”ではなかった。
「おう。任せろ」
九郎は短く返した。
ドアが閉まる。


九郎は一人、静かな廊下に残った。
「……2ヶ月か」
長いようで、短い。
問題は消えていない。
言葉の壁も、完全には越えていない。
それでも――
「まあ、やれてるな」
最初の「現実」は越えた。
そして、次に待っているのは、もっと大きな現実だった。
責任。
任せること。


そして――
「辞めるか、残るか」
九郎は小さく息を吐いた。
「ここからだな」
静かな廊下に、その声だけが残った。

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