第10話「残すか、切るか」
現場に出て、6ヶ月目。
契約更新の時期が、静かに近づいていた。
あの頃とは、明らかに違う。
青年は、もう「見習い」ではなかった。
第9話で初めて一人で現場を任されてから、少しずつ仕事の幅が広がっていた。
指示を受けるだけではない。
自分で段取りを考える。
周囲に声をかける。
分からなければ確認する。
そして――。
勝手に判断して動かない。
それも、身についてきた。
だが、「完全な戦力」と呼ぶには、まだ何かが足りない。
その「何か」が、今回の判断材料になる。
――朝。
いつも通りの作業前。
だが、九郎は気づいていた。
(今日は、少し違うな)
青年の動きが、わずかに硬い。
言葉数も少ない。
理由は分かっている。
契約更新だ。
本人にとっても、会社にとっても、半年という時間は一つの区切りだった。
――午前。
作業は順調に進んでいた。
青年の指示も、以前より自然になっている。
「ここ、先にやります」
「次、これ入ります」
「これ終わったら、次お願いします」
無駄がない。
迷いも少ない。
ベテランも、特に口を挟まない。
九郎は黙って見ていた。
(ここまでは、問題ねぇ)
だが――。
九郎は分かっていた。
「現場での評価」と「経営の判断」は、同じではない。
――同じ頃、事務所。
経営者は、数字を見ていた。
人件費。
売上。
利益率。
そして、外国人材を雇うためにかかる費用。
「月給に加えて、寮費、管理費……」
紙を指で叩く。
「正直、日本人より高くつく」
もちろん、単純に給料だけを比較しているわけではない。
紹介会社への手数料。
在留関係の手続き。
生活面のサポート。
仕事を覚えるまでの教育コスト。
そして――。
「続くか」
「逃げないか」
「本当に戦力になるか」
会社として考えなければならないことは多い。
経営者は資料を見つめた。
(ここで更新しなければ、損は抑えられる)
一方で――。
(また一から育てるのか?)
そこで思考が止まった。
――現場に戻る。
昼前。
小さなトラブルが起きた。
資材の数が合わない。
以前の青年なら、誰かを呼んでいたかもしれない。
だが、今は違う。
「一回、確認します」
青年が周囲を見る。
「こっち、余ってないですか?」
「そっちは?」
一人ずつ確認していく。
探す。
原因を絞る。
そして――。
「あった」
青年が資材を指差した。
「ここ、ダブってました」
単純なミスではない。
現場の小さなズレを、自分で見つけて修正したのだ。
ベテランが、ぽつりと言った。
「……ちゃんと見てるな」
短い言葉だった。
だが、重かった。
九郎は何も言わなかった。
ただ、その言葉を聞いていた。
――昼休み。
九郎が聞いた。
「どうだ、最近」
青年は少し考えた。
「慣れてきました」
「そうか」
「でも……」
言葉が止まる。
「でも、何だ?」
青年は弁当を見ながら言った。
「ここにいていいのか、考えます」
九郎は黙った。
それは、避けて通れない話だった。
仕事ができるようになった。
だから残れる。
――そんな単純な話ではない。
会社には会社の事情がある。
本人の努力だけでは決まらない。
――午後。
作業はさらに安定していった。
指示。
確認。
連携。
そして何より――。
「周りを使えるようになっている」
以前は、自分一人で何とかしようとしていた。
今は違う。
必要なときに、人に声をかける。
任せる。
確認する。
そして、自分も動く。
(ここまで来たか)
九郎は、少しだけ目を細めた。
――その頃、事務所。
経営者は現場の責任者から報告を受けていた。
「どうですか、あいつ」
責任者が答える。
「悪くないです」
「最初は?」
「正直、厳しいと思いました」
少し間を置いて、
「でも、今は使えます」
経営者が聞く。
「今は?」
「使えます」
そして、責任者は付け加えた。
「ただ……もう一段、欲しいです」
その一言。
経営者は黙った。
(もう一段、か)
金だけで見れば、簡単な話だ。
コストを抑えるなら、ここで契約を更新しない。
だが――。
この半年間で、青年は確実に変わっている。
最初から完璧だったわけではない。
むしろ、かなり苦労した。
文化の違い。
仕事の進め方。
周囲との距離。
持ち場の考え方。
何度もぶつかった。
それでも、少しずつ覚えてきた。
今ここで切れば――。
また、一から人を探す。
また、一から教える。
また、同じ時間とコストをかける。
経営者は、資料を閉じた。
――夕方。
作業終了。
予定通り。
大きなトラブルもなかった。
九郎が青年に声をかけた。
「ちょっと来い」
青年は少し緊張した顔で近づいてきた。
「更新の話、来てるだろ」
「……はい」
「どうする?」
青年は、すぐには答えなかった。
しばらくして、言った。
「正直、迷ってます」
「何でだ?」
「できる気はします」
少し間を置く。
「でも……まだ足りない気もします」
九郎は頷いた。
「正解だな」
「え?」
「できると思ってるやつは危ねぇ」
青年は黙って聞いている。
「無理だと思ってるやつは残れねぇ」
少し間を置く。
「お前は今、ちょうど真ん中だ」
青年は、何も言わなかった。
だが、その言葉を何度も頭の中で繰り返しているようだった。
――その夜。
事務所。
最終判断の場だった。
資料が並んでいる。
コスト。
現場評価。
教育にかかった時間。
これまでの勤務状況。
そして、これからどこまで伸びるか。
経営者が言った。
「結論、出そう」
全員が黙った。
「現状は……ギリ戦力」
「コストは、やや高い」
そして、
「ただし、伸びている」
静かな時間が流れた。
やがて――。
経営者が口を開いた。
「残す」
一言だった。
理由は、単純ではない。
「今切れば、またゼロからだ」
「こいつは、あと一段で化ける可能性がある」
短期的に見れば、コストはかかる。
だが――。
長期で見れば、回収できる可能性がある。
それが、経営の判断だった。
――翌日。
現場。
九郎が青年に声をかけた。
「更新、することになったぞ」
青年は一瞬、固まった。
「……本当ですか?」
「ああ」
青年は、小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
そして、深く頭を下げた。
その姿を見て、九郎は思った。
(こいつ、分かってるな)
ただ、契約が続くというだけではない。
自分が「評価された上で、残る」ということを理解している。
それが大事だった。
――その夜。
帰り道。
青年が言った。
「残るって、責任ですね」
「ああ」
「前より、重いです」
「当たり前だ」
少しの沈黙。
青年が前を向いた。
「でも、やります」
その声は、以前よりはっきりしていた。
――事務所。
経営者は、一人になってから資料を片付けた。
そして最後に、小さく呟いた。
「頼むぞ」
それは命令ではなかった。
投資でもない。
――期待だった。
6ヶ月。
「切るか、残すか」
それは、単なる契約更新ではなかった。
人を見るのか。
数字を見るのか。
その両方を、どう折り合いをつけるのか。
経営者にとっても、簡単な判断ではない。
そして青年にとっては――。
「残る」ということそのものが、新しいスタートだった。
第9話で、青年は初めて「任される側」に立った。
そして今――。
「残す」と判断されたことで、次はその期待に応えなければならない。
任される。
期待される。
そして、結果を出す。
その先にあるのは――。
本当に「戦力」と呼ばれる日なのか。
それとも、また別の壁が待っているのか。
青年の6ヶ月は終わった。
だが――。
本当の意味での仕事は、ここから始まる。
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